2011年10月29日・・・・・・・・・・・・・・・「フクシマからの報告」 続き


3.避難生活で得たもの

①「自立村」と名付けた戸山サンライズでの生活
 戸山サンライズ到着すると、東北関東大震災障害者救援本部、TIL(東京都自立生活センター協議会)をはじめ、沢山の方々が暖かく迎えてくれました。
私達は戸山サンライズへ避難したメンバーを「自立村」の家族と考えて生活することにしました。

②ニーズの整理と、社会資源の充実さを実感
 早急に救援本部と話し合いを詰めたのは、避難してきたメンバーのニーズを整理することと、介助体制を確立することでした。同じ自立生活センター同士でありましたが、初対面の方も多かったことから、救援本部では現地コーディネーターを派遣して下さいました。
 介助者の派遣での支援は全面的にTILが支援をして下さいました。

③戸山サンライズで考えた 本当の「自己選択」「自己決定」「自己責任」とはそして自立生活とは
 私は戸山サンライズでの生活中、「気分転換に」ということで、都内のCILの自立生活体験室に宿泊させていただく事がありました。日中、センターの所長さんに誘われ、かつての「自立生活運動仲間」の方にお会いできる機会がありました。そこで、当時の写真やテレビに取り上げられた時の映像などを観させて頂く機会がありました。観させて頂いた映像の中に、私の心が動かされるものがあったのです。ある障がい者の夫婦の生活に密着した映像でした。その夫婦はまず、駅前で介助者を見つけるためにビラ配りを行っていました。
その映像もシビアで、何事もないかのように夫婦の前を人が通り過ぎて行きます。それでも懸命にビラを渡そうとしている映像でした。次に移ったのは料理をしている様子です。
記憶が定かではありませんが、ハンバーグを作っていらっしゃったと思います。介助者は女性の指示の通りにしか動いていません。ハンバーグがみるみる焦げていきます。
 その夜、戸山サンライズに帰ると、嬉しい話がきけました。戸山サンライズに避難してきたメンバーは、ヘルパーや障がい当事者、そしてその家族でしたが、日頃より関わりが多いヘルパーとは限りませんでした。それに加えて、お互い慣れていない環境での生活ということで、私達は、当事者と介助者の関係を心配していました。ですが、当事者は一生懸命介助の仕方を覚えてもらおう、ヘルパーはそれを一生懸命覚えようという様子がみられました。という報告がありました。すると私の頭の中で、昼間見せて頂いたあの映像が蘇りました。
「今はあの夫婦の様な力が必要な時なのかもしれない・・・」障がい当事者が、良い介助者を見つける力ではなく、障がい当事者と、介助者が共に力をつけていくべき状況だったのかもしれません。でもそれは緊急時のみならず平常時でも必要なことであり、自立生活センターが伝えていかなければならないことだと感じました。
 自立生活センターは「自己選択」「自己決定」「自己責任」というものを大事にしています。この3つのテーマを踏まえてあの映像を振り返ると、きっと障がい当事者だけではなく、ビラを受け取った介助者もお互いに「自己選択」「自己決定」「自己責任」のもと行動したのだと思います。 現在、この障がい当事者と介助者の関係の中に「事業所」というものが加わりました。私がこれから注意しなければいけないことは 障がい当事者と介助者が「選択」、「決定」、「責任」は全て「事業所」がするべきものだ。いう考え方が生まれないように、なにより、自分自身がそう考えてはいけない。自立生活センターのこの3つのテーマをよりいっそう大事にしなければならない思いました。

④自分達で避難所を作り上げた! 
 避難所は障がい当事者はもちろん全ての人々に決して過ごしやすい環境とは言い切れません。もちろん避難所各所で避難者の支援を懸命に行って頂いております。しかし、人手が不足しているのが現状ではないでしょうか。
 私達が生活させて頂いた戸山サンライズでは、施設内の食堂で食事を取ることができました。その際も、できるだけ、栄養バランスを考えたメニューに切り替えて頂きました。
救援本部では、朝の9時~21時のある程度の介助派遣が終了するまで、コーディネーターを派遣して下さいました。被災地というのは震災直後、支援を行いたくても現地に入れないという問題もあると思います。それを被災者側が支援体制の整っている場所に一時的に避難することで、ある意味では、本来あるべき緊急避難ができたと思います。
 まさに公共の場(戸山サンライズ)と市民団体がタッグを組み、この形を創り上げて下さいました。今は、私達被災地の声を聞いて頂くことはこれらの為に重要なことだと思います。いつか、私達を今もなお支援して下さっている全国の皆様を称賛するような記事やニュースが増えていくことを願っています。
 様々な形で支援をして下さっている皆さん、本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
 今回の避難の件で、「訪問介護事業所がそこまでやるのですか?」と問われたスタッフもいました。 もし私が同じ質問をされたら、「私達は自立生活センターなので」という説明をさせて頂くと思います。
 様々な支援を頂き、 4月に入り、いわき市内のライフライン物流等も復旧してきていることかから、「自立村」は「ファミリー」となり、「いわきの家族が待つ実家」へと帰省しました。

○私達がすべき支援とは 私達も想定外とはもう言えない
 最後になりますが、1000年に1度ともいわれる未曾有の大震災が起きました。しかし規模の違いはありますが、大震災と呼ばれるものを私達は幾度となく経験しています。その都度、今後想定される危険性(原発の事故も含め)や課題が取り上げられてきたと思います。
 私達障がい者自身もこれまでの震災の経験を踏まえ、自分達の目線で災害・防災に対して取り組んできたでしょうか。今回これまでお話させて頂いた内容も、以前に大震災を経験した方々にも共感して頂ける部分が多いかと思います。
 私達は、自分達の目線でできることの一つとして、「放射能から身を守る」というパンフレットを公益信託うつくしま基金 災害救援緊急支援助成を受け、作成いたしました。(http://space.geocities.jp/iwaki_cil/ いわき自立生活センターのページからご覧になれます。)
 また、国からの公表を待つだけではなく、線量計を購入し、自分たちで、センター付近を毎時計測しています。震災から2カ月後の5月11日には避難訓練も行いました。
 私は、自立生活センターに所属し9年目になりますが、「障がい者の地域での自立生活支援」をしてきました。もしかしたらいつからか「一人暮らしまでを支援すればゴール」という意識が出来上がっていたのかもしれません。しかし、よく考えてみれば、「その人らしく生きる」ということを考えた場合、「一人暮らしをするにもしないにもその人の自己選択」であるということを認めてあげなければなりません。私がすべきことは、「その人らしさ」をみつけることではく、「その人らしくいられる地域や社会」を創ることだと思いました。その為には災害や防災への活動も必要不可欠です。「放射能から身を守る」パンフレットの作成等を先駆けとして、様々な形で私達が私達でいられる地域づくりをしていきたいと思っています。
 そして今、私のセンター周辺に1000戸の仮設住宅が建てられました。今まさに、これまでの経験を生かし、力をつけた私は仮設住宅の人達が「自分達らしく生活できる環境」を創り上げていく時だと感じています。


◇「フクシマからの報告」写真集◇
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お忙しい中、いわき自立生活センターよりお越し頂きました小野和佳様、
また当日御参加下さいました皆様、その他御協力頂いた関係者の皆様、
ありがとうございました。

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